“カザルス/バッハ「マタイ受難曲」全曲、'63 カーネギー・ホール・ライヴ”
エルンスト・ヘフリガー(T)、ウィリアム・ウォーフィールド(Bs)、アラ・バーベリアン(Bs)
モーリーン・フォレスター(A)、オルガ・イグレシアス(S)
パブロ・カザルス指揮 プエルト・リコ・カザルス音楽祭管弦楽団
クリーヴランド管弦楽団合唱団員(合唱指揮:ロバート・ショウ)
録音が残されていると言われながら、未発表だったカザルス指揮によるバッハ「マタイ受難曲」の貴重なライヴ音源。
アメリカ人コレクターの個人所有テープからのディスク化で、音源データには「Broadcast performance from Carnegie Hall」との記載があるが、当然ライヴであり、しかも放送のための録音としては不備が多く、実際に放送された可能性は低いと思われます。
オリジナルの音質は、オーケストラや合唱のマイクセッティングはほぼ妥当ですが、独唱については、福音史家(エヴァンゲリスト)はマイクが近くて録音レベルが高過ぎ(音が大きい)、他の独唱者、特に女声はマイクが遠過ぎて残響ばかり響き(専用マイクが無かったと思われる)、強音ではレベルオーバーで歪み、しかも一部は伴奏に消されがちになるなど、プロのエンジニアがセッティングしたとは思えない状態でした。
恐らくカザルス音楽祭またはホールの関係者が単なる記録のために、ホール常設の天吊りマイクに加えて、事前テスト無しに適当に補助マイクを置くなどして収録したのでしょう。一部の楽器独奏もマイクに近過ぎてバランスを崩しています。
当音源は出演者も含むこれらの関係者のコピーがアメリカ人コレクターに渡ったものと想像されますが、このような音質の問題から今までLP,CD化が見送られてきたと思われます。
今回ディスク化に当たっては、福音史家をはじめとする独唱の音量バランスを揃えること、さらに技術的に難易度は高いが、個々のホールトーン(残響)の響き方や長さも異なるため、これらについても均一化すること、女声歌唱を明確化すること等の対策を行いました。
結果として、独唱パートについては、当然ながら限界はあるものの、オリジナル音源と比較して大幅な改善となっっています。
元来1963年のテープ録音ですから、音質自体は良好でノイズも極小、会場ノイズもほとんど聞こえず、1950年代のイタリア・オペラのライブCDなど聴いたことのあるリスナーであれば、大きなストレスなく十分に作品を鑑賞頂けると思います。
1963年の第7回カザルス音楽祭はプエルト・リコで開催されましたが、当地で演奏されたバッハ「マタイ受難曲」がニューヨークでも追加公演という形で演奏されました。
6月16日、日曜日の午後5時に第1部開演、6時半から8時半まで夕食のための休憩中断、8時半から第2部というスケジュール。
カット無しの全曲版ですが、合唱指揮で有名なロバート・ショウによる英訳版が使用されています。1950年代までのアメリカでは、聴衆の理解を深めるため、モーツァルトの「魔笛」やベートーヴェンの第9なども英訳で上演されていましたが、そのような習慣の末期に当たります。
それでも福音史家役で定評があったエルンスト・ヘフリガーは、慣れないはずの英訳版を難なくこなしているようです。その他の歌手は、フォレスターを除き日本では知名度が高くないですが、バッハなど宗教音楽作品の歌唱で経験豊かなメンバー。
合唱がクリーヴランド管合唱団というのは意外に思えますが、当時ロバート・ショウが同合唱団の指揮者を務めており(ジョージ・セルのアシスタントでもあった)、1960年にクリーヴランド管のコンサートにおいて、ショウ自身が同合唱団と「マタイ受難曲」英訳版を指揮,演奏したという実績からの参加と思われます。ただし参加は合唱団全員ではなくピックアップメンバーだったようです。
オーケストラはカザルス音楽祭のための臨時編成であり、メンバーには学生も多かったが、コンサートマスターのアレクサンダー・シュナイダー以下、シドニー・ハース(ニューヨーク・フィル及びシカゴ響のコンサートマスター)、フランク・ミラー(NBC響及びシカゴ響首席チェロ)、ロナルド・ローズマン(ニューヨーク・フィルのコ・プリンシパル・オーボエ)など、要所には名手が揃っていました。
一説には、ニューヨーク公演の主要メンバーはプエルト・リコ公演と同様だが、他の団員はアメリカのメジャー・オーケストラのピックアップメンバーで構成されていたとも言われています。確かに当時のニューヨーク公演プログラムの冒頭にはFestival Casals of Puerto Rico と表記されながら、オーケストラはCasals Festival Orchestra とのみ表記され、Puerto Rico の地名がありませんが、主要メンバー以外の奏者全員が入れ替わったわけではないと思われ、当ディスクでは便宜上、旧称表記としました。
カザルス指揮のバッハは、20世紀前半まで主流だった荘重で重厚なロマン的スタイルですが、名手揃いのオーケストラと合唱により、ライヴとは思えない完成度を示しています。
カザルスは指揮者としても管弦楽組曲やブランデンブルク協奏曲をはじめ、バッハ作品をスタジオ録音していますが、マタイ受難曲は正規の録音を残さず、当ディスクが現在確認されている唯一の録音と思われます。