[CD-R盤]
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 OP.30
ラヴェル/バレエ組曲「マ・メール・ロワ」
モニク・ドゥ・ラ・ブリュショルリ(ピアノ)
エルネスト・アンセルメ指揮 ボストン交響楽団
1951.12.14,21、ボストン・シンフォニー・ホール
モノラル、ライヴ収録
超絶技巧の名手モニク・ドゥ・ラ・ブリュショルリによるアメリカ・デビュー・ライヴ録音。
ドイツの高名な音楽評論家ヨアヒム・カイザーが著書で「彼女はヴァルキューレとなり、グランド・ピアノは軍馬となり、いまオクターヴ征討の戦いに進発する」と言わしめたが、当ディスクに聴くラフマニノフは、まさしくヨアヒム・カイザーの表現にふさわしい演奏。
米マサチューセッツ州在住のエアチェック・コレクターの提供音源で、オリジナル音源は、1951年10月からボストン響(BSO)の中継放送を開始した地元ラジオ局WGBHのエアチェックまたは放送局保管音源のコピーと思われる。
ことさら優秀録音というわけではないが安定した音質で鑑賞には問題のないレベル。協奏曲におけるモニク・ドゥ・ラ・ブリュショルリの強力な打鍵を音割れせずに収録しており、ピアノとオーケストラのバランスも良好。このためディスクに当たっては、微細なノイズの低減、周波数バランスの若干の改善等、最低限の調整にとどめた。聴衆ノイズはほぼ皆無。
モニク・ドゥ・ラ・ブリュショルリの公演は、ボストン響の定期演奏会として12月14日を含む14・15日の2公演が行われた(13日にもオープン・リハーサルが行われた)。
14日の公演は、前半冒頭にメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」序曲、続いてラフマニノフ、休憩を挟んで、後半がフォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲、ドビュッシーの「海」というプログラム。現代の目で見ても違和感のない構成。
ちなみにブリュショルリがアメリカ・デビュー公演にラフマニノフのピアノ協奏曲第3番という難曲を選択したこと自体、空前のことであった。当時この作品は、ボストン響の聴衆にとっては作曲者ラフマニノフ自身やホロヴィッツによる演奏機会が大半で、それ以外には1947年のヴィトルト・マウツジンスキ、1942年のポップスコンサートのおけるゼルマ・クレーマーによる演奏があったのみだったが、これほど完成度が高い演奏は、ラフマニノフやホロヴィッツに比肩するものではなかったろうか。しかもホロヴィッツの演奏に見られる「演出」がない分、明晰さでは勝っていたかもしれない。
公演はセンセーショナルな成功を収め、ブリュショルリは翌1952年2月BSOのニュージャージーとニューヨーク・ツアーでも同曲を演奏。同月21日にはカーネギーホールでリサイタルを行ってこちらも大反響を呼び。1953年にはニューヨーク・フィルの定期演奏会に招かれ(プログラムはチャイコフスキーの協奏曲第1番)、さらにカーネギーホールで再びリサイタルを行うなど、ブリュショルリはアメリカにおける名声を確立した。
これを契機として、米VOXへ一連のレコーディングを行ったが、意外なことにラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の録音は行われなかった。おそらく作品のポピュラリティが劣ると判断されたと思われるが、これはチャレンジングなレコーディングレパートリーを開拓していたVOXにとっては大きな疑問であり、この辺りの事情を知りたいところ。
余白に収められた「マ・メール・ロワ」は、同じくアンセルメ指揮BSOによる6日後の公演のライブ録音。アンセルメにとって1949年以来、2回目のBSO客演。1949年にシャルル・ミュンシュが常任指揮者に就任後、フランス系演奏家の招聘が増えたが、アンセルメやブリュショルリもその一環であろう。
ちなみにアンセルメによるラフマニノフの協奏曲伴奏はやや意外に思われるが、元来、広大なレパートリーを持ち、ロシア作品も得意としていたアンセルメにとっては、ラフマニノフの語法に全く問題なく対応している。
モニク・ドゥ・ラ・ブリュショルリは、上記のように、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番のスタジオ録音を残さず、当ディスクが現在確認されている唯一の録音である。
※総合カタログは下記を参照下さい:
https://www.ne.jp/asahi/classical/disc/index2.html
*【ご注意】
当商品はCD-R盤です。CD-Rは通常の音楽CDとは記録方法が異なり、直射日光が当たる場所、高温・多湿の場所で保管すると再生出来なくなる恐れがあります。
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