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ホーム貴重ライヴCD/PREMIEREレーベル[新品CD-R] AURORA リヒテル&ムラヴィンスキー・ライヴ/チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番他
商品詳細

[新品CD-R] AURORA リヒテル&ムラヴィンスキー・ライヴ/チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番他

販売価格: 1,900円(税別)
数量:
[CD-R盤]
 
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 OP.23
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第5番
ト長調 OP.55 *
 
スビャトスラフ・リヒテル(Pf)
ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
*コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 ソビエト国立交響楽団
 
1954年10月9日、レニングラード・フィルハーモニー大ホール
1958年10月22日、モスクワ音楽院大ホール
モノラル、ライヴ録音
 
リヒテルによるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番のライヴ。
チャイコフスキーはムラヴィンスキーとの共演。音源はドイツ・ハンブルク在住のロシア人コレクターによる提供。エアチェックではなく放送局保管音源のコピーと思われる。
当時のソ連の録音技術や事情を考慮すると、2曲とも録音年代を上回る良好な音質で、1960年代半ばのライヴ録音に匹敵。チャイコフスキーのオーケストラ録音がやや堅めに感じるが、オンマイクのセッティングのためか、演奏自体が筋肉質?による理由かもしれず、いずれにしても鑑賞には全く問題ない。ディスク化に当たっても、最小限の編集を行った以外に手を加える必要がなかった。また会場ノイズも非常に少ない。
 
ところでムラヴィンスキーと共演したチャイコフスキーは録音年に少々疑問がある。確かにこの演奏はムラヴィンスキーなどの演奏会記録にも記載があるが、当時の放送局によるライヴ録音としてはいささか録音が良過ぎる。仮に1954年とすれば、ソ連国営メロディア・レーベル(この名称が使用されたのは後年だが)が、LP発売を予定して入念にマイクセッティングを行い収録したが、何らかの理由で発売見送りになったものではないか。または、あくまで想像であるが、リヒテルとムラヴィンスキーは、チャイコフスキーの同曲を1959年6月21日と22日にも演奏、さらに1か月後の7月24日にスタジオ(セッション)録音していることから、当ディスクの録音年月日は1959年6月21日か22日のいずれかではないだろうか。当ディスクの録音は、後日、正式なレコーディングを行う前のテスト録音、または予備的な録音だったのではないだろうか。当ディスクの演奏と1959年のスタジオ録音を比較すると、もちろんマイクセッティングの制約がないスタジオ録音の方が細かい音を拾っており、聴衆がいないため残響も多いが、音質はよく似ている。一方、演奏については、ライヴの方がテンポは若干速く、ライヴらしい自由さが感じられる。今後、新たな事実の判明に期待したい。
 
リヒテルはその生涯で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を計52回、公開の場で演奏したと言われており、最初の演奏は1941年、ナタン・ラフリン指揮ソビエト国立響、最後の演奏は1968年、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルと言われている。リヒテルは膨大なレパートリーを持っており、同曲は彼の重要なレパートリーだったが、リヒテルは、ある時期に「演奏が完成した」「自分にとって納得のいく演奏ができた」と感じた曲を突然演奏しなくなる傾向があり、このチャイコフスキーもその例で、いかにもリヒテルらしいエピソード。ちなみに、ムラヴィンスキーとの1958年のスタジオ録音は、リヒテル自身が最も気に入っていたとされる演奏の一つと言われている。
 
ただし、リヒテル自身はこの作品をあまり好んでいなかったようだ。ブルーノ・モンサンジョンが編纂したリヒテルの回想録によれば、この曲の「第1楽章の冒頭の有名なテーマが、二度と曲中に戻ってこない(展開されない)」という形式的な整合性の欠如に不満を抱いており、「第1楽章は通俗的で退屈、第3楽章も騒がしいだけ。ただし、第2楽章(Andantino semplice)だけは本当に素晴らしい、純粋な詩のような音楽だ」 として、第2楽章の抒情性だけを例外的に絶賛していたようだ。
ただ、この作品を繰り返し演奏したのは、「ロシアに生まれたピアニストとして、この曲を演奏することは避けて通れない義務のようなものだった」とのこと。ソ連当局からの圧力もあったのだろう。しかし、その一方、「この曲を、安っぽい見せ物ではなく、純粋にシンフォニックで高貴な音楽として救い出したい」とする意図をもって、あえてインテンポにこだわった格調高いアプローチを試みていたという。
 
リヒテルの同曲のLPというと、1962年にカラヤン指揮ウィーン響と録音したドイツ・グラモフォン盤が有名だが、リヒテルはこの録音について「全くの失敗作であり、自分のディスコグラフィから抹消したい」 と激しく嫌悪していた。「カラヤンは、私が一音弾くごとにテンポを遅らせ、自分の思うようなネットリとした響きに引きずり込もうとした。まるでお互いに足を引っ張り合っているような、悪夢のようなセッションだった」。リヒテルは楽譜に忠実で客観的なテンポで進めたかったのに対し、カラヤンは重厚で、かつ感傷的に引きずるようなレガート主体のテンポ(カラヤン流の美学だ)を要求したのだろう。
リヒテルはこの演奏を「商業主義の産物」として嫌い、自分本来のチャイコフスキーを聴きたいなら、前述のように、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルとの1958年録音(あるいはキリル・コンドラシンとのライブ)を聴くべきだと語っていた。
 
一方のプロコフィエフは純粋な放送録音。前月9月27日にワルシャワでドイツ・グラモフォンに同曲をスタジオ録音した直後の演奏である。指揮のシルヴェストリは、当時はフランスやイギリスにおける活躍が目立ったが、共産圏のルーマニア出身で1958年まで同国放送管の音楽監督も務めており、ソ連への客演も頻繁に行っていたのだろう。
 
同じくブルーノ・モンサンジョンによるリヒテルの回想録によると、プロコフィエフのピアノ協奏曲第5番は、1932年の初演当時から近現代的な複雑さや風刺的な性格が災いし、聴衆や批評家からの受けが悪く、作曲家自身も「失敗作(フィアスコ)」とみなされていることに頭を悩ませていた。しかし、リヒテルの演奏を聴き、その卓越した才能を目の当たりにしたプロコフィエフは、彼に声をかけて演奏を依頼したという。リヒテルか語るところによると、「私が演奏を終えて楽屋に戻ると、プロコフィエフが近づいてきてこう言ったんだ。 『私の第5協奏曲を弾いてくれないかね? あの曲はいつも大失敗で、一度も成功したことがないんだ。だが、君なら弾ける。確信しているよ』と。師のネイガウスはかなり慎重で、そんな曲はやめて(有名な)第3番を弾きなさいと助言した。事実、第5番は評判が悪かった。しかし私は第5番を選び、結果は大成功だった。プロコフィエフは『素晴らしい! 見てごらん、大成功だ!』と大喜びしてくれたよ」
リヒテルは、わずか数か月でこの難曲をマスターして演奏(1951年コンドラシン指揮モスクワ・フィルと共演)し、見事に作品を大成功へと導いたという。リヒテルは自身の音楽観について、「私はただ自分が気に入った曲を弾くだけだ」「自分の関係性は(聴衆ではなく)作曲家と共にある」と語っていたという。
 
リヒテルは当ディスク以外に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を1954年チェコ・スプラフォン、1959年に露メロディア、1962年ドイツ・グラモフォンにスタジオ録音していたほか、1950年3月と5月、1954年、1969年にライヴ録音していた(1950年5月録音はオルガヌム110020AL、1954年録音はオルガヌム110039AL で発売済み)。
また、プロコフィエフのピアノ協奏曲第5番を前記のように1958年ドイツ・グラモフォン、1972年英EMI にスタジオ録音したほか、1958年5月と9月のライヴ録音が残されている。
 
 
※総合カタログは下記を参照下さい:
https://www.ne.jp/asahi/classical/disc/index2.html
 
*【ご注意】
当商品はCD-R盤です。CD-Rは通常の音楽CDとは記録方法が異なり、直射日光が当たる場所、高温・多湿の場所で保管すると再生出来なくなる恐れがあります。
また、CD・DVD・SACD再生兼用のユニバーサルプレーヤーや、1990年代以前製造の旧型CDプレーヤーなどでは再生出来ない場合がありますが、メーカーや機種の異なるプレーヤーでは再生出来ることもありますので、複数のプレーヤーをお持ちの場合はお試し下さい。
商品詳細
レーベル:AURORA
品番:AK30010
Stereo/Mono:Mono
録音:1954.10.9、レニングラード・フィルハーモニー大ホール、1958.10.22、モスクワ音楽院大ホール、ライヴ録音